東京地方裁判所 昭和43年(ワ)10592号 判決 1969年10月31日
原告
金沢昭弘
被告
市ケ谷孝
ほか一名
主文
被告山口琴己は、原告に対し六四万七一〇四円および右金員に対する昭和四三年九月二〇日以降支払い済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
原告の被告山口琴己に対するその余の請求および被告市ケ谷孝に対する請求を棄却する。
訴訟費用中、原告と被告山口琴己との間に生じたものは、これを三分し、その二を原告の、その余を同被告の、各負担とし、原告と被告市ケ谷孝との間に生じたものは、原告の負担とする。
この判決は、原告勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。
事実
第一、当事者双方の求める裁判
一、請求の趣旨
(一) 被告らは、各自原告に対し二二一万二五四五円および右金員に対する昭和四三年九月二〇日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。
(三) 仮執行の宣言。
二、請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二、当事者双方の主張
一、原告の請求原因
(一) (事故の発生)
原告は、次の交通事故によつて傷害を受けた。
(1) 発生時 昭和四二年七月二二日午後八時三〇分頃
(2) 発生地 東京都板橋区船渡二丁目八番三号
(3) 被告車 自家用普通乗用車(埼玉ま二四―一七号)
運転者 被告山口琴己(以下、被告山口という。)
(4) 原告車 自動二輪車
運転者 原告
被害者 原告
(5) 態様 戸田市から池袋方向にむかつて国道一七号線の左端を進行中の原告車と原告車の進行右側から左側のガソリンスタンドに入ろうとして右道路を横断中の被告車とが衝突したものである。
(6) 結果原告は、右足開放性骨折の傷害を受けた。
(二) (責任原因)
被告らは、それぞれ次の理由により、本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任がある。
(1) 被告市ケ谷孝(以下、被告市ケ谷という。)は、被告車を所有し、被告山口は、被告市ケ谷からこれを借り受け、それぞれ自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による責任。
(2) 仮に右事実が認められないとしても、被告市ケ谷は、被告車の登録名義、強制保険加入名義を有し、被告山口は被告車を所有していたものであるから、それぞれ自己のために運行の用に供していたものとして、自賠法三条による責任。
(三) (損害)
(1) 休業補償 八六万七、六六〇円
原告は、東京化学塗装株式会社に勤務し、事故前一ケ月の平均収入は五万〇、九六五円であつたが、本件事故により、昭和四二年七月二三日から昭和四三年三月まで完全に休業し、同年四月から昭和四四年五月までは保谷電子株式会社に勤務し合計二六万六、三〇〇円、その後、佐藤自動車株式会社に同年六・七月と勤務し八万九、〇〇〇円の収入を得た。
原告は、本件事故がなければ昭和四四年七月二二日まで二四ケ月間、一二二万三、〇六〇円の収入がある筈だつたが、事故のため三五万五、三〇〇円の収入しか得られなかつたので、八六万七、七六〇円の損害をうけた。
なお、原告が保谷電子株式会社に勤務したのは事故により収入がなく生活に因窮したこと、同社の仕事は座つていてもできる仕事なので、身体に無理をして生活費を多少なりとも稼いだにすぎない。現在原告は、横浜の佐藤自動車にやはり塗装工として勤務しているが、塗装工は人手が足りずひつぱりだこである。だから、身体の具合さえ塗装作業ができるようになつたら、すぐ佐藤自動車に勤務できたのであり、そこへの勤務のため待機期間があつたわけではない。
(2) 労働能力喪失による得べかりし利益の喪失一、七三万五九六六円のうち四九万四七八五円。
原告は本件事故により右腓脛骨開放性骨折の傷害をうけ、このため、現在、立つたり座つたりすることが不自由であり、足を曲げること、走ることができないばかりか、冷えると痛みを覚え、短時間しか立つていられず、階段の昇降にも不自由である上、傷あとはケロイド状であり、骨が出ていてみにくい。しかもこれは治癒する見込がない。こんな状態だから、自動車塗装工をしていた原告にとつては、本件事故は致命的であり、今後塗装工として働くことは非常に困難になつた。原告の右症状は、少くとも、「労働基準法施行規則別表第二」身体障害等級表第一二級に該当するから、すくなくとも原告の労働能力喪失は一〇〇分の一四とみるのが相当である。原告の一ケ月の平均賃金は、前記のとおり、五万〇、九六五円であるから、労働能力喪失による一年間の得べかりし利益の喪失は八万五、六二一円である。原告は昭和一七年九月一四日生れであるから就労可能年数は三六年である。これを年五分の割合による中間利息を控除して算定すると一、七三万五九六六円となる。
(3) 慰藉料八五万円
原告の身体の状況は前述のとおりである。本件事故により、原告は事故時から同年一二月二四日までの五カ月間入院し、退院後も七カ月間通院した。しかし、症状は固定してしまい、永久に右足の傷は治らず、不自由である。これを慰藉するには、八五万円を下らない。
(四) よつて、原告は被告らに対し、金二二一万二五四五円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四三年九月二〇日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二、請求の原因に対する被告らの答弁ならびに抗弁
(一) 第一項のうち、(1)ないし(5)は認めるが、(6)は不知。
第二項のうち(1)は否認する。(2)のうち、被告市ケ谷が原告主張の名義を有していること、被告山口が被告車を所有し、自己のために運行の用に供していたことは認めるが、その余は争う。
第三項は不知。
(二) (免責)
被告山口は被告車を運転し、本件道路上を坂下方面より蕨市方面に向い進行していたが、本件事故現場付近の早部ガソリンスタンドに入るため右折しようとし、センターライン付近で停車して反対方向からの車の途切れるのを待つていた。反対方向の車線には対向車両がおおむね二列にならんで進行していた。ところがたまたま、被告山口の車が右折の合図をして中央ライン付近に停車しているのを、対向車の観光バス(二列の車のセンターライン寄り)の運転手がみて、そこに停車してくれ、さらにその観光バスの歩道寄りを走行していた普通乗用車も同じく右観光バスとならんで停止してくれた。とくに観光バスの運転手は早く道路を横断するように手で合図をしてくれたのである。そこで、被告山口は右折を開始し右二つの車両の前を通つて本件事故現場にさしかかつた。そして、被告山口の車の前部が歩道にのりあげる直前に右停車中の乗用車の側方より急に原告車が時速約四、五〇キロメートルの速度で進行して来たので、被告山口は直ちに制動をかけたが、歩道から約二〇センチ手前に被告車の前部が来たあたりで、右原告車が歩道と被告車の前部との間にとびこんで、被告車の前部をかすめるような形で衝突したのである。このような状態であり、被告車は、約五キロメートル位の速度で進行し、歩道にのりあげる寸前であるので、さらに減速しているときに原告車がその前部をかすつてとびこんで来たものであつて、ほとんど、被告車は動いておらず、むしろ原告の方から衝突して来たという方が実態に即している。しかも被告は、車の前部と運転席までの距離は一・六メートル以上あり、それにひきかえ、原告車は観光バスと普通乗用車とがならんで停止しているため、わずか一・六メートル位の余剰幅員しかない路面部分を通つて来たもので、被告山口としては、衝突前までは原告のバイクの進行して来ることは停車中の普通乗用車にさえぎられて、発見することはできなかつたのであつて、被告山口には全く過失はない。
これにひきかえ、原告は停車中の前記観光バスと普通乗用車を内側から追いぬこうとしていたのであるが、前方を走行していたはずの右二台の車が停車することは原告に当然見えたはずである。かかる場合、自動車運転者として通常の経験をもつている者であれば、その二台の車の前を人か、車のいずれかが横断進行して来て、原告の進路を横切るであろうことは当然予測しうるのであるし、また予測しなければならない。被告山口はセンターライン近くで右折の合図をして待つていたところ前記二台の車が停止してくれ合図をしてくれたので、発進し、右折したのであるが、二台の車が停止してから被告山口の車が衝突地点までさしかかるには、数秒の時間はあつたはずであり、いかに原告が時速四、五〇キロメートルで突進していたとしても、事前に、前記危険を察知して減速徐行し、停止中の二台の車と共に一且停止することができたであろうし、またそうすべきであつたのである。
右のとおりであつて、被告山口には運転上の過失はなく、事故発生はひとえに原告の過失によるものである。また、被告らには運行供用者としての過失はなかつたし、被告車には構造の欠陥も機能の障害もなかつたのであるから、被告らは自賠法三条但書により免責される。
(三) 過失相殺
かりに然らずとするも、事故発生については原告の過失も寄与しているのであるから、賠償額算定につき、これを斟酌すべきである。
(四) (損害の填補)
原告は、本件事故発生後、自賠責保険から五〇万円を受領したから、右金額のうち、治療費、付添看護費に充当された分を除き残額五万一六七〇円は、原告の請求する損害額から控除されるべきである。
三、抗弁に対する原告の答弁
原告が被告主張の金額を受領し、これを被告ら主張の損害に充当したことは認めるが、その余の事実は否認する。
第三、当事者双方の提出、援用した証拠〔略〕
理由
一、(事故の発生)
請求の原因第一項(1)ないし(5)は、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば原告は、本件事故により、右足開放性骨折の傷害を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
二、(責任原因)
被告市ケ谷が被告車の登録名義、強制保険加入名義を有していることは、当事者間に争いがない。
〔証拠略〕によれば、被告市ケ谷は被告車を所有していたところ、昭和四一年七月頃被告山口に右被告車を代金六万円で売り渡し、右代金をその後数回にわたつて被告山口から受領したが、被告らは親しい間柄でもあつたので被告車の登録名義の変更手続をしないまま放置されていたこと、被告山口は、右売買当時被告車の引渡を受け、これを利用していたことが認められる。そうだとすれば、被告山口は被告車を自己のために運行の用に供する者というが、被告市ケ谷は、本件事故当時、被告車を所有していたものではなく、その所有名義は形式的なものであつて、被告車の運行供用者ということはできない。
三、(免責)
〔証拠略〕を総合すると、以下の事実を認めることができる。
すなわち、本件事故現場は、坂下町方面から蕨市方面に通ずる幅員一六・六メートル、歩道四・二七メートルの南北に通ずるコンクリート舗装道路と幅員六メートルの東西に通ずる道路とが交わる交差点であつて、交通整理は行われていない。そして、右交差点の東北の角には早部ガソリンスタンドがある。
被告山口は被告車を運転し、南北道路を坂下町方面(南方)より蕨市方面(北方)に向い進行していたが、右早部ガソリンスタンドに入るため右折しようとし、センターライン付近で停車して、反対方面からの車の途切れるのを待つていた。反対方向の車線には対向車両がおおむね二列にならんで進行していた。そして、対向車の流れが止まり、本件事故現場に先頭で進行していた二列の対向車は、被告車が右折の合図をして中央ライン付近に停車しているのを認め、被告車が右折横断できるだけの距離を置いて停止した。そこで、被告山口は右折を開始し右二つの車両の前を通り、被告車の前部が歩道にのりあげる直前に、右停車中の車の側方より急に原告車が進行して来たので、直ちに制動をかけたが間に合わず、歩道の手前で、原告車が被告車の前部をかすめるような形で衝突した。
右事実によれば、被告山口としては、道路を右折、横断しようとするものであるから、前方、左右の安全をたえず確認し、いつでも停止できるような速度で進行すべき注意義務があるのに、これを怠つた過失があるというべきである。従つて、その余について判断するまでもなく、免責の抗弁は理由がない。
四、(過失相殺)
もつとも、原告は、停車中の二列の車を内側から追いぬこうとしているのであるが、かかる場合、自動車運転者としては、その二台の車の前を人か、車のいずれかが横断進行して来て、原告の進路を横切るであろうことは当然予測し、停止中の二台中の二台の車と共に一旦停止するなどすべきにかかわらず、これを怠つた過失が認められる。そして双方の過失の割合は、被告山口が四、原告が六と認めるのを相当とする。
五、(損害)
(一) 休業補償
〔証拠略〕によれば原告は、東京化学塗装株式会社に塗装工として勤務し、事故前一カ月の平均収入は五万〇九六五円であつたが、本件事故により、昭和四二年七月二三日から昭和四三年三月まで完全に休業し、同年四月から昭和四四年五月までは保谷電子株式会社に勤務し合計二六万六、三〇〇円、その後佐藤自動車株式会社に同年六・七月と勤務し八万九、〇〇〇円の収入を得たことが認められる。従つて、原告は、本件事故がなければ、昭和四四年七月二二日まで二四ケ月間、一二二万三〇六〇円の収入がある筈だつたが、事故のため三五万五、三〇〇円の収入しか得られなかつたので八六万七七六〇円の損害をうけたものということができる。しかし、原告の前記過失を斟酌すると、右損害の四割にあたる三四万七一〇四円を被告山口に負担させるのを相当とする。
(二) 逸失利益
原告が本件事故により右脛骨開放性骨折の傷害を受けたことは前記認定のとおりであり、〔証拠略〕によれば、原告は右受傷により昭和四二年七月二二日から同年一二月二四日まで、更に昭和四四年一月一七日から同月二六日まで志村橋外科病院に入院し、第一回目の退院後も引き続き昭和四四年一月一六日まで通院し、第二回目の退院後も同年四月二六日まで(内治療実日数一〇日)通院治療したが、後遺症として、右足関節軽度運動障害、右下腿前面約四・五センチメートルの手術創一〇センチメートル×七センチメートルの不整形の瘢痕を残したこと、しかし、原告は、事故前と同様、塗装工として勤務し、ほぼ従前どおりの給与を受けていることが認められる。そうだとすれば、原告は本件受傷による後遺症については、慰藉料として斟酌するは格別、将来における逸失利益を生ずるものとは認め難いものというほかはない。
(三) 慰藉料
原告が本件事故により前記傷害を受け、前記のとおり入通院治療をしたが、前記後遺症を残したことは先に認定したとおりである。そこで、原告の慰藉料として、前記過失を斟酌すると、三〇万円を相当とする。
六、(結論)
よつて、原告は、被告山口に対し六四万七一〇四円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四三年九月二〇日から完済に至るまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、被告市ケ谷に対する請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 福永政彦)